中野区歴史的建物悉皆調査
伝統技法研究会では、2008年から、中野区内の歴史的建造物調査を行ってきました。中野区は戦災により区内の建物の大半が焼失し、また強制疎開によって多くが破壊されましたが、今回の調査で私達が区内の東西南北、路地の奥まで隈無く…
建物を活かす専門家集団 協同組合 伝統技法研究会 一級建築設計事務所
伝統技法研究会では、2008年から、中野区内の歴史的建造物調査を行ってきました。中野区は戦災により区内の建物の大半が焼失し、また強制疎開によって多くが破壊されましたが、今回の調査で私達が区内の東西南北、路地の奥まで隈無く…
坂長本店は、江戸時代から続く老舗の商家で、店蔵、袖蔵、主屋、文庫蔵、中蔵、石蔵の6棟の建物は国の登録有形文化財となっています。中でも店蔵と袖蔵は、古河城から移築されたと伝えられており、さらに文庫蔵も移築の可能性があります…
酒井蔵は、古河駅北西側にあり、鍛冶町通りの道路拡幅に伴い古河市に寄贈されたものです。平面はL字形をしており、長手部分は2階建ての倉庫で、北西の隅に8畳と6畳の和室からなる蔵座敷が取り付いています。 今回の工事は、耐震補強…
旧笠間家店蔵は、「川越蔵の会」の調査において棟札が発見され、川越大火直後の明治26年に建設されていることがわかっています。その後、昭和30年代に正面の下屋や外壁を取り除き、パラペット状の外壁に改造されていましたが、川越市…
雑司が谷旧宣教師館は明治40年に、アメリカ人宣教師マッケーレブの自邸として建築されました。昭和62年に豊島区の有形登録文化財に登録され、その後平成4年には区指定文化財、平成11年には東京都の指定有形文化財になりました。現…
N家は,築地から大正4年(1915)に現在地に移築されたと伝えられる洋館建築で昭和14年(1939)に当家の所有となって以来長く住み継がれてきましたが,07年,不幸にも火災に遭い焼損してしまいました。しかし修復は可能の判…
伊藤左千夫生家は、史跡として千葉県の指定を受けた建物です。史跡内にはこの生家の他、土蔵と茶室「唯真閣」(昭和16年移築)があります。いずれも昭和50年代後半に大掛かりな復原修理等の工事が行われ、特に生家については明治14…
旧丹羽家の屋敷は、豊島区の防災広場の一つとして整備が進められており、主屋と庭等は取り壊されましたが、門と蔵は文化財として残され、染井地区のシンボル的存在として地域住民に親しまれています。平成21年には公園として広く開放さ…
旧伊勢屋質店は樋口一葉が通った質店として有名で、歴史の町本郷のシンボルとして区民から親しまれてきました。建物は見世・土蔵・座敷棟の3棟から成り、見世は明治40年に建てられ、土蔵は明治20年に南足立郡鹿浜村より移築され、座…
旧安田邸は、豊島園を作った人物として知られる藤田好三郎氏により大正7年(棟札より)に上棟されました。施工は清水組(現清水建設)でした。 また、畳替の工事中に大正8年4月の墨書が見つかり、残された図面からも大正8年に竣工し…